尿カテーテルを付けたまま退院

膣から尿が出てくる原因がハッキリわからず、退院しました。

尿道からカテーテルをつけて、レッグバッグという足に尿の溜まる部分を巻き付けた生活のが始まりました。

退院したらしたばかりなので実家にいたんですが、

尿カテが詰まったりして時間外の病院へ行ったりしました。

そしてそして、外来で、原因が

片方の尿管が膀胱の直前で切れていることが分かりました。

なので、そこで尿カテは必要なくなり、晴れて管の無い生活になりました。

そして、それを治すための計画や必要な検査を先生と、何回かしていきました。

がんの方は、毎月の血液検査の数値は平常値\( ᐛ )/

そして3ヶ月毎のCT検査。

3月に手術してガンのない体になってから初めてのCT検査!!

……そこで肝臓に再発していることが判明しました。

先生に「尿道関係の計画もあるけど、がんの再発とどっちを先にやろうか?」と聞かれたので

「やっぱり命に関わるがんの治療を先にした方がいい気がします」

と言いました。

先生も「そうですね!」

ということで、抗がん剤で小さくしてから手術しましょう!ということになりました。

弟に報告したら

「姉ちゃん、好きなことをやった方がいい」

というようなことを泣きながら言われました。

再発というのはショックですし、

これがガンという病気なのか……と改めて思い知った気持ちになりました。

手術した後の病院では

徐々にドレーンが外れたり、管が外れていく度に

「回復した感」を得られました。

そんな毎日は、まさに「薄紙を1枚1枚はがすように良くなってく」状態でいる様でした。そんななか、唯一楽しみだったのは

お見舞いに来てくれる人達ー!!ホント嬉しかった\( ᐛ )/

特に親には「アレ買ってきてー」などと甘えてしまいました。

フルーツジュースがとてもありがたくて、お母さんが色んな種類のDOLLの紙パックの小さいジュースを買ってきてくれました。

病院にいる時のリンゴジュースって素晴らしい!!

そして、入院もだいぶ後半。もう歩けるしご飯も普通に食べれるようになった頃、

お母さんがぶっ飛んだ差し入れを持ってやってきました!

「お前、こういうの食べたいんじゃないかと思って…♡」

と、いざ保冷剤のはいった保温バック?から取り出したものはなんと

マグロの刺身(⊙ө⊙)!!!!

「………マジ?(笑)」

お母さんはマジです。ウケ狙いではありません。

私は一応看護師さんに確認した方がいいと思って聞いてみたら即答で

「生物はやめたほうがいいですね…マグロ?!(笑)」

と。

そうだよね(笑)

と私は思いましたが、お母さんの気持ちも嬉しかったです。多分、普段マグロの刺身に絶大な信頼を寄せているんでしょう。……それか私をネコか何かと間違えているのかもしれません(笑)

お父さんの差し入れもオリジナリティのあるものでした。

私の地元のお土産みたいな「豆瓦」?とかいう激シブいお菓子。食べないな〜。゚(゚^o^゚)゚。

あと蜂蜜とか!入院中、使わないって〜(笑)

お見舞いと言うよりお土産だよね。しかも地元のやつ(笑)

みんな私の事を思ってくれていろいろ元気付けるために、ありがたいし、来てくれるのがとても楽しみでした。

遠いので毎日は来れないですが、老体なのに一生懸命1時間くらいかけて来てくれて…差し入れも面白いし(//∇//)♡♡

そして、帰りには徐々にエレベーターまで見送れるようになっていく自分のカラダも嬉しく思えました。

エレベーターが閉まってしまうのが寂しいな……気をつけて帰ってね…そんな41才でした。

手術でいろいろカラダが変わった

この時の手術では地味にカラダが変わりました。

手術前に「手術終われば今まで通りのカラダに戻れる。…わけがない!いろいろ切るんだから」とシミレーションしていましたが実際終わってみたら、

確かに違ってる!!

まず切りとった部分が予想以上にたくさんありました。

直腸、子宮、卵巣、その周辺のリンパ節、肝臓、胆嚢

多分それ以外にもあると思いますが把握してるのはそういったところです。

それと同時に尿管膣ろうというのになっていて、片方の尿管と膀胱が切れてしまい、膣から自動的におしっこが出てくる道ができてしまいました。

なのでオムツ必須な体になりました。

でも、もう片方の尿管は普通に膀胱につながってるので、普通にトイレでもおしっこしないとなんですが、尿意も感じなくなったので、そろそろかな?と時間の感覚で行くようになりました。

不便になりましたが、痛いわけでもないので慣れるしかありません。

これはかなり想定外でした。

あと内臓でなくなって違いが分かるのは婦人科系です。ネットで調べた更年期のような症状が出るようになりました。

それは遅かれ早かれなるものなのかもしれないので、これも慣れるしかないなーって感じです。

とにかくこのリニューアルした身体に慣れるしかない。

そう思いました( ´ω` )/

くされ縁の男友達

一般病棟に移り股関節あたりのドレーンがちょっと動くだけで痛くて痛くて歯磨きに行くのも「もうヤダ、もーーーヤダ!」と独り言を言いながら行くような毎日でした。

ドレーンがなぜなかなか外れなかったかというと、直腸の吻合不全が起きていたからです。

それは想定内で、それをふまえての入院期間が1ヶ月ということでした。

なかなか良くならず、絶望的な日々でドレーンさえはずれてくれたら歩くのなんて多分余裕なのに!

と思いながらNintendoSwitchに精を出しておりました。

オロチ無双の全然使わないであろうレベル1のままの各武将の第5武器を取りまくり(笑)

それにも飽き飽きしていたころ、「お見舞い行くわ」とくされ縁の男友達から連絡がきました。

そして、お花を買ってきてくれました!!

男の人がお花を買いに行く。なんて想像したらとても嬉しいことで、色も彼が好きな黄色を基調としていて「らしいな(^^♪」とすごく感動しました。

病室に来てもただスマホ見てるだけでしたがそれも「らしい( ´ω` )」

お花をもらうってこんなに感動するんだなー(ฅωฅ*)

今までの苦痛だった痛いのにも文句言わずにお花をみれば頑張れる気がしました!

人の気持ちってホントにありがたい(//∇//)

そして、間髪入れずに

唯一高校時代からの女友達も(•ө•)♡!!

私が病気になってから、いつも体調の事をたくさん聞いてくれて彼女に説明をすることで、自分の病気の事を客観的に見れるようになったのかもしれません。

そのくらいいつも気にかけてくれてる大事な友達!ホントにいつもありがとうm(_ _)m

この日はそういう大事な友達が2人も来てくれたのでテンションが上がりました↑↑

夜、お花を見ながら寂しい戦いも応援してくれてる人がいると思うと…感動して涙が出てきました。

手術後HCUには1週間弱居ました

前のストーマ&ポート手術の時は1日だけでしたが、この時は結構長くHCUに居ました。

2日目の朝、主治医の先生が様子を見に来てくれました。

「先生、手術ってどのくらいかかったんですか?」

「7時間半くらいかな」

「…先生、おつかれさまでした」そう言うと先生は、

「自分(私)の方がお疲れさまだよ」と言ってくれました。

でも7時間半も集中して立ちっぱなしで大変だっただろうな…ありがとうございますm(_ _)m

そういう気持ちでいっぱいでした。

ところで私の体にはドレーンの管が3本と尿道カテーテルと点滴が繋がってました。

ドレーンが痛い(T ^ T)上半身に入っている管が何かのひょうしで内臓のどこかに触れると痙攣?みたいになってその度お腹に力が入ってしまい痛くて痛くて……看護師さんがきてくれて「痛み止めをお願いします」と頼んで、持ってきてもらう頃には治まってるという(´・ω::.

あと、何もできない、今いつなのか何時なのか全くわからなくて気が狂いそうになってるその頃、救世主が現れました。

その名も「ラジオ!」

ラジオは朝になると看護師さんにお願いすればON♪にしてくれました。1日中ラジオと共に外の情報や時間や天気などなどあんなにラジオがありがたいと思ったことは初めてでした。

体を起こす(ベッドのリクライニングで)のもやっと。

体を起こせるようになっても、ベッドから降りて立つだけでヘロヘロ。

立つことができるようになって、うがい用の水を自分で汲みにいけるようになり、

飲み物がOKになり、自動販売機までジュースを買いに行けた時は「やったーー!!」と思ったし看護師さん達も褒めてくれました(^^♪

そして脇腹のドレーンが2本抜けて、あとは股関節の辺りの1本だけになり、歩くのがだいぶ楽になりました。

前の手術の時と違って、なんか食べたい!とは強く思わず重湯の日を迎えました。

隣のベッドにはおじさんが入院してきていて、その人も重湯を食べている様子でした。

私は勝手にライバル視しておじさんより早く一般病棟へ行くぞ!と思ってました。

おじさんも聞いていると痛そうな処置をしたりして可哀想で…勝手に「ライバル=友」のような気持ちで心の中でエールを送っていました。

HCUにいる時はとにかく寝る!

時間が早く過ぎるように寝ていたかったです。

ちょうど桜が咲いたとか咲かないとかそんな時期でした(ラジオ情報(笑))

そんなこんなで私はHCUで出会った友(ライバル)よりも先に一般病棟へ移りました。

いよいよその日がやってきました。

今まで約1年間抗がん剤をやってきて、小さくなったガンをとってもらう日がきました。

前の時とは違う大きな手術…時間は朝から!!

手術の準備は前の時とそんなに変わらなかったですが、今回はアソコの毛を看護士さんがバリカン(笑)で刈りました。それはおもしろかった。

そして、前と同じく歩いて手術室へ。

両親も来てくれました。長時間待っててもらわないといけないので心配でしたが、とにかくここまできたら引き返せるわけもなくすんなり手術室へ入りました(表向きは!)

手術の日までの、勝手なシミレーションの効果もあり今回はかなりビビっていました。

まずは前と同じくエビのように背中を丸めて硬膜外麻酔です。前回は余裕だったんですが、今回は切る範囲が広いからなのか変な感じがして「あー!」って変な声が出て思わず動いてしまいました。

背中の上の方だと変な感じ?痛い感じ?がするのかな。

前の手術の時は背中の下の方に硬膜外麻酔入れてもらった感じでした。

そして麻酔!!前も経験したやつ!

きっとこれで「あれ?!」って感じで目が覚めた時は終わってるんだ!

……が、今回は違いました。

なんとなく前より気を失っていた時間が長く感じたのと、麻酔覚めかけHCUの病室についた時、シバリングという寒くて震える。みたいな症状がありました。

自分ではわけわかんないです。

看護師さんや親がベッドの、周りで名前を呼んだりして麻酔から覚まそうとしてくれている様でした。

とにかく寒かった!!!!

し、わけわかんなかった!

しばらくして落ち着いた。というか麻酔から覚めました。

手術前からシミレーションしてたことで腹に決めていたこと「手術が終わったら動かないぞ!」きっと動くと痛いから。

これを実践しました(笑)

夜中なのか何時なのか全然わからないなか、看護師さんが

「大変でしたね…」というような声をかけてくれました。

私のお腹はみぞおちからズバっと、アソコの上まで切ってありました。

それを見て看護師さんはそう言ってくれました。

手術時間は7時間半だったみたいで、そこの意識が(も?)切り取られている私は時間感覚がおかしくなって夜中なのかなんなのか、白い天井だけ見ていて気がおかしくなりそうでした。

動けないし。

でもおばあちゃんが生きてる時に言ってた言葉「1日1日、薄皮をめくるように良くなっていくから」

これをいつも思っていました。

今日より明日!

なんて思っても今日なのか明日なのかわかんない。最初はそんな、手術後でした。

本格的なやつ( ゚д゚)!!

抗がん剤を約1年間続けて2019年3月、いよいよ「ガンを取りにいけるけどどうする?」と先生から打診がありました。

このまま抗がん剤を続けてもそろそろ効き目が弱くなってきてるので他の薬にかえるか、手術してガンをとるか。

正直手術すごくこわいので、抗がん剤を…と思いましたがどちらにしても手術しないといけないし手術してもらう事にしました。

「手術の時間は6時間くらい」

「みぞおち辺りから縦に切る」

「入院は1ヶ月くらい」

ということを先生に告げられ

いよいよ本格的なヤツ!!!!と思いました。

それから心の準備として、手術していろんな内臓とったり切ったりするんだから今の状態みたいに戻るわけがない。と、それなりに何かしら不便な体になるんだろうな…と思いました。

あとは前の時みたいにきっと私が知らない間に手術は終わるんだろうけど、ほんとにそうかなぁ

とか不安でしたが着々と「その日」は近づいてくるのでした。

心のこと

起こった事をバーーっと書いてきましたが、今回は癌になって考えた事を書きます。

抗がん剤をやったりして自分が癌である事に慣れてきた頃、いよいよネットでガンについて調べてみました。

未だに私は先生にステージはいくつ?とか余命は?

などの質問は全くしていません。

ただ、直腸癌がほかの臓器に転移しているとステージ4!ということが自分で調べてわかり、生存率も同時に知りました。

……生存率結構低いな(´・_・`)

これから自分はどうなっていくんだろう。

発覚からもうすぐ2年経つ今でもそれはわかりません。

「いつ死ぬのかわからない」と実感してからは常にそれを意識して行動するようになりました。

別に癌じゃなくても「いつ死ぬのかわからない」事にはかわりないんですが……

私には子供も旦那もいないので思い残すことはない。親より先に死ぬ事で親がかわいそうだとは思いますが、それまでの間できるだけ自分で考える親孝行的なことをしていくことにしました。

といっても大したことができるわけでもなく、今まで離れていただけに今更一緒に暮らすのもできるわけでもない。

体が動くうちに片付けとかした方がいいのはわかっているんだけどなかなか片付けない。

そんな状態です。

動くのは自分しかいないのに、自分のために動こうとすると後回しにしてしまう。

ダメだなぁと思います(´・ω::.

抗がん剤1回目!!

いよいよその日がやってきました。

2泊3日の入院ですが、先の入院の時に思った事がありました。

抱き枕があればいいのに!!

なので抱き枕を持って行くことにしました。

そして抗がん剤はFOLFOX+アバスチン

鎖骨の下のポートを初めて使いましたが、腕からの点滴とは雲泥の差で楽ちん(๑♡ᴗ♡๑)両手を自由に使えるし、どんな体勢でも気を使うことなくイイ感じです。

まずは吐き気止めから…それからあれよあれよと抗がん剤に移行して、最終的に48時間持続点滴のフルウロオラシス?とかいう王道的なお薬になりました。

心配していた気持ち悪いとか吐き気などは特になく、「へぇー」って感じですが、とにかく終わるまでが長く感じました。

帰る日、お父さんに迎えに来てもらってベラベラ喋りながら帰りました。

帰ってきてからが辛く、なんというか身の置き場がないというか変な感じで寝ていても起きていてもイヤな体調が2日か3日くらい続きました。

が、4日くらいするとケロっとなんともなくなり元気になりました。

そのサイクルを繰り返していくうちに、手先のシビレとか冷たいものは触りたくない飲みたくない、とか口内炎とか事前に聞いていた副作用がでてきました。

口内炎といっても、普通の口内炎じゃなくて、歯茎が痛いというか硬いもの食べるとき大変(´・ω::.だったりワサビが必要以上に効いてるように感じたり。

飲み物は常温じゃないと飲めません。夏でもアイスは持ってられないし食べられませんでした。

それでも元気に過ごせました。

髪の毛も多少抜けたけど気にならないくらいでした。

何回通ったかは数えていないですが、約1年間それを繰り返しました。

3週間毎の入院のたびに癌マーカーの数値を聞きました。

私の場合毎回下がっていて、抗がん剤始めて半年くらい経った頃には正常値の範囲におさまっていました。

そして直腸や肝臓にある癌の大きさも小さくなりました!!

ありがとう抗がん剤!!

ありがとう人工肛門!!すごい便利だよ♡

そんな気持ちでいました。

まだまだこれから!

人生初の入院が癌だからという事や初手術や人工肛門になる事にとらわれていましたが……

よく考えたら、先生に「今のままでは手術はできないので抗がん剤で癌を小さくしてから手術しましょう」と言われたなぁ。

という事で実はこの入院は、準備の為の様なものだったんだと気づきました。

そして退院する時、次回から抗がん剤の入院を2泊3日で3週間毎にします。と説明をうけ予約をしました。

抗がん剤かぁ……超イヤだな、こわいな。

そう思ったけど、その時はそんな事より今退院出来ることがとても嬉しくてサッと帰りました。

家に帰ってきてからも普通に…というより入院前より全然体調も良く、ありがたいことにとても元気に過ごせました。レジ待ちでも立って待っていられる!!階段登っても息切れ動悸はもうしません( ´ω` )/

入院前の体調の最悪さがよくわかりました。